今日も大丈夫そうなので、続きを書きたいと思います
前回の記事はこちらです↓
<1度目の大うつの頃の話 その2>・・・・・
<1度目の大うつの頃の話 その3>
私が10歳の頃の話です。
借金を苦に自殺した父の告別式が終わり、
父方の祖母は、お香典を全部持って帰っていきました。
父の借金は何千万円?億。
どこまで家族が払う義務があるのかはわからなかったけど、
借金取りから逃げなくてはいけない状況だったので、
夏休み中にひっそり引越ししました
新しい家は、2Kの汲み取り式のトイレのオンボロアパート
家族6人で生活するには、かなり小さく感じました。
夏休み明けに、小学校にお別れの挨拶に行きました。
一つ大きな約束がありました。
☆借金取りにバレるから、友達に住所は教えてはいけない。
「今までありがとうございました
」
それで立ち去ろうとする私に、
みんなから「どこに引っ越したの?」「電話番号教えて」と。
いいたくても言えない・・・
涙をこらえて困惑している私をみて先生が、
「落ち着いたら連絡しますからね」と言ってくれました。
私は、その時の友達が大好きでした
親の都合で幼稚園に通えなかった私は、
友達がいる学校と放課後の児童館が大好きでした。
家での寂しさも、友達と遊んでいる時間は癒されたのです。
勉強もがんばったし、みんなといっぱい遊びました。
その頃の友達といる時が、一番私らしくいられたと思います
すごく幸せな毎日でした。
そんなみんなと、縁を切らなければいけなかったこと。
すごく辛かったです
引越し先の家の近くには、
地域のポートボールの監督が住んでいました。
キレイな一軒家で子供が3人の5人家族、
お父さんがいる家族。大きな車もある。
幸せそうに見えて、すごくうらやましかったです
その監督は父親代わりのように接してくれ、
「ポートボールやろううよ」と声をかけてくれたので、
私は球技が大好きだし、新しい友達を作りたいと思ったから、
早速入部しました
週に数回の朝練、日曜日の試合など、
初めは楽しくやっていました。
父がいなくなった寂しさは心にあったけど、
子供ながら前向きに生きようと思っていました
ここまでなら、まだよかったのです。
父が自殺してしまった。私は親に捨てられてしまった。
私は父を止めることができなかった。
でも、私は生きていくしかないから、がんばろう・・・
それを、阻害する大人がいました。
1人は、優しく近寄ってきた監督でした。
ある夜、母のいる部屋から男の人の声がしました。
その日も母は酔っ払っていました。
別の部屋にいた私は心配になって部屋へ行き、
「お母さん・・・だいじょうぶ?」と声をかけました。
見ると、母の布団の中に誰かが隠れています。
でも母は、「大丈夫だから寝なさい」と言いました。
やっと察した私は、部屋に戻りました。
すごくいけないものを見てしまった・・・
隣でヘッドフォンをして寝てる姉にも言えず、
耳を塞ぎ震えていました
すると、今度は私の部屋に監督が入ってきました。
少しずつ近づいてきて・・・
私は怖さのあまり何も抵抗できませんでした。
生理が始まっていなかったのが何よりの救いだけど、
強かんされてしまった・・・
ショックでした
「助けて・・・」って心で叫んでいたけど、
誰も助けてくれませんでした。
その時も、私は震えるだけで、涙はでませんでした。
朝まで「夢でありますように・・・」と願い続け、
ほとんど眠れないまま、次の日学校に行ったのを覚えています。
私の体は汚れてしまったと思いました。
さらにショックだったのは、
母が私を守ってくれなかったこと
「娘のところには行かないで」ってどうして言ってくれなかったの・・・?
母とは、このことについて一度も話をしたことがありません。
母はアルコールが入るととてもだらしなくなる人でした。
寂しさから来ていたのかもしれませんが、
子供は見たくない姿でした
もう一つの恐怖は、
あの事件からそんなに日が経たないある日の夕方、
頼まれた買い物へ行く途中の出来事です。
20代位の男の人に道を聞かれました。
普通に教えていると、いきなりうしろから捕まえられて
痴漢されました。
「声を出したら殺すぞ
」と怖い声で言われ、腕で首を絞められて、
すごい恐怖でした
あまり人の通らない道だったし、怖くて声もでないので、
もうだめだ・・・とあきらめかけた頃、
自転車に乗った人が少し離れた通りを横切る際
こっちを見てくれました。
精一杯の声で「助けてください・・・
」
やっとその男の力が緩んだので、その隙に逃げることができました
買い物を済ませ、私は何事もなかったかのように
家に帰りました。
言うのは恥ずかしいし、言っても何もしてもらえないと思ったからです。
親を信用できない私は、我慢するしかありませんでした。
更に、監督が怖くなったので、ポートボールにも行けなくなり、
それがきっかけでいじめに合いました。
無言電話や学校でのシカト。
すごく悔しかったです
やりたくてもできなくなったポートボール。
それから、母のたびたびの自殺未遂・・・
お酒を飲んで一番下の子をおんぶして心中しようとしました。
だけど、道路の真ん中に寝転がって車にひかれようとしても
近所の人に見つけられたり、
どこかで倒れているのを偶然誰かが見つけて救急車で運ばれたり、
未遂で済んでいました。
母はいつか話してくれました。
何度も人に助けられたから、
「私は生きなきゃいけないんだ」と思ったらしいです。
母の状態が悪い時は、私は学校を休んで見守る係りでした
父に続いて母も死んでしまうんじゃないかという恐怖がいつもありました
姉からの指示を受けたら、
大好きなドッジボール大会の日でも、
母を守る為にいつも犠牲になっていました。
こうして、大人への信頼がどんどん薄れて行きます
アルコール依存症で守ってくれない母親、
私を捨てた父親、
優しい顔して近づいてきて裏切る勝手な大人の男の人・・・
父が亡くなってからの約1年のことは、
ドラマかドッキリであってほしいと何度も願いました。
「これはウソだよって、誰か言ってください。」って
何度も願っていました☆
誰にも悩みを話せず、誰も私を気にしてくれず、
生きることってこんなに辛いことなんだと知りました
周りの世話ばかりしていたので、
自分というものが、どんどんなくなっていきました
私の未来は真っ暗でした
あの頃の記憶は、白黒です。
生きる希望なんてなくて、いつも心で泣いていました
そして私は、やっぱり男性不信になりました。
特に監督のような空気のある人は、今でも怖いです。
似てる俳優も怖いし、似てる人のそばでは固まってしまいます
その監督のことを、
だれか頼れる人がいて話していたら、泣き寝入りしていなかったら、
もっと早く楽になれていたと思います。
本当に悔しいです
鍵を開けて誰かが家に入って襲われそうになる悪夢を
何十回も見ています。 今でも・・・
それと、うしろに男の人がいると、
殺されるような気がして怯えてしまいます。
ずっと付きまとっているこのトラウマが無くなったら
どんなに楽になるでしょう・・・
その後もうつうつ状態は続きますが、
「1度目の大うつの頃の話」は、ここまでにします。
読んでくださった方、ありがとうございました。
今回の出来事が一番思い出すのが辛いところでした。
少し手が震えてしまってますが、
ここまで外に出せるようになれてよかったと思います
過去に起こったことは、残念だけど変えらません。
乗り越えるしか方法はないと思います。
こんな経験をしてきた現在、そしてこれからどう生きていくか。
それが毎日の課題です。
同じ生きるなら、いっぱい笑顔でいたいです。私も周りの人も
光のある方へ歩いていきたいです
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